旭川六条教会 沿革

1883年(明治16年)、京都府丹波から田中敬造一家が、ふたりの青年を伴って 旭川 に移住、日曜日ごとに集まり、聖書研究会や祈祷会を開いたのが、当教会の伝道の初めである。

その後、幾人かの伝道者の来援を得て、会衆主義の精神を受け継ぐ日本組合教会系の講義所として伝道を続け、1897年(明治30年)、1条5丁目に禅宗寺跡を借り受けて牧師館兼講義所を設ける。翌年、初代牧師・杉浦義一牧師が招聘され着任。

1901年(明治34年)10月13日、旭川組合基督教会として教会設立式を行なう。この日が当教会の創立記念日となる。1902年(明治35年)、2条10丁目左4・5号に教会堂竣工。1906年(明治39年)自給独立教会となる。1915年(大正4年)5条8丁目左6・7号にあった旧ピアソン宣教師館を買い受けて教会堂を移転。1927年(昭和2年)には、現在地6条10丁目右4号に教会堂を移転新築。

戦時体制下、政府の強い指導でキリスト教会の統合が進められ、日本組合教会は積極的に協力1941年(昭和16年)当教会も日本基督教団に合同、旭川六条教会と名称を変えて、現在に至る。1974年(昭和 49年)現在の教会堂が建設される。

教会的特色

もともと会衆主義精神を受け継ぐ組合教会としての歴史がありますので、教会としては、自由・自治・独立の精神を重んじ、他教会との協同を大切にしています。 日本基督教団 が告白する信仰告白と戦争責任告白を受け入れると同時に、個人の信仰に基づく自発的な信仰の告白も大切にしています。組合教会時代の精神である「教理によりて他を排斥せず、信条をもって他を束縛しない」とする信条理解が受け継がれてきています。

同時に30数派のプロテスタント系の合同教会である日本基督教団としての歴史を共にしていることを自覚し、戦時下の教会が積極的に戦争に協力してきた歩みに対する責任を認め、その罪責を告白する教団形成を願っています。また、過疎地に立つ北海教区の小規模教会が孤立することなく共に福音宣教を担うことができるように連帯していくことも、とても大切にしています。

どんな感じの教会?

自由で穏健な考え方が尊重されている 教会 です。礼拝は、熱狂的になるわけではありませんが、こわばって閉ざされた心に穏やかな風が流れ込み、それがやがて心熱いものへと導かれていく、と言ったら、ちょっと格好良すぎるでしょうか。

礼拝に集まる人が多いので、初めていらっしゃる人にとっては、いきなり知らない人たちの中に飛び込むのは勇気がいるかもしれません。大勢の人が苦手な人には、 祈祷会 や入門講座(随時連続開催)、家庭集会や聖書に学ぶ集いなどに参加してみてはいかがでしょうか。

最近は、時代の流れでしょうか、子育てが一段落して自分の時間ができた人、現役世代の方々ばかりではなく会社を定年退職して第二の人生を歩み出した人などで、熱心に信仰を求める方も多いです。信仰に年令は関係ありません。むしろ長い人生経験を経て初めてわかる聖書のメッセージというものがあるのかもしれません。

毎週の礼拝は、小さな子どもから大人までがいっしょに参加できます。お子様連れでも、無理なく礼拝に参加できますので、ぜひ、ごいっしょにどうぞ。

お知らせ

【道案内動画 最寄り駅から教会まで】

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